八王子のシルクロード~幕末から明治期に賑わった「絹の道」を歩く

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シルクロードといえば、まず思い浮かべるのはユーラシア大陸を横断する中央アジアの道のことですよね。この道は古代中国の都市、洛陽や長安、西方のシリアやローマなどの都市を結ぶ交易ルートであり、主な交易品が絹であったことからその名がつけられました。

じつは八王子にもかつて「シルクロード」が存在していたことを知っていますか?それは幕末に甲州街道中・八王子宿から町田を経て、横浜港を結んだ道で文字通り「絹の道」と呼ばれていました。

現在でも、鑓水峠に建てられている絹の道碑から南へ1.5kmほどの道にかつての面影を見ることができます。今では雑木林に覆われて静寂に包まれていますが、幕末から明治時代にかけて、この道は多くの商人が往来する賑やかな道でした。今回はそんな多摩のシルクロードの盛衰を紹介したいと思います。

 絹の道のはじまり

絹の道の歴史は、幕末の日本を揺るがした1853年(嘉永6年)の「ペリー来航」に始まります。この事件を契機として、それまでオランダ、中国を除く諸外国に対して鎖国政政策をとっていた江戸幕府は、1858年(安政5年)に箱館、兵庫、横浜、長崎、新潟の5港を開港します。その中でも諸外国との貿易の拠点となったのが横浜港で、その輸出入額は全体の8割以上を占めていたといいます。

横浜港からの輸出入品の中で、特に外国商人から重宝されたのが生糸で、当時ヨーロッパでは生糸が不足していたことに加え、日本の生糸は安価でかつ質が良かったことから好まれました。

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ペリー上陸当時の横浜。

 鑓水商人の繁栄

生糸を横浜港にさえ持っていけば高値で売れるという状況に、八王子宿の南、鑓水村に居住していた商人、通称「鑓水商人」たちが目を付けます。

もともと八王子一帯は「桑都」と呼ばれるほど養蚕が盛んな土地であり、鑓水商人たちは横浜まで一日という地の利を生かして八王子のみならず上州(群馬県)、甲州(山梨県)、信州(長野県)など関東近郊から生糸を集めては、それを横浜へ運んで売りさばきました。

このときに使用されたのが「絹の道」であり、八王子から片倉、鑓水を越えて原町田を抜け、横浜港へと至る約35kmの道(下図)が幕末日本のシルクロードの役割を果たしました。

生糸の売買による利益は莫大なもので、鑓水村には鑓水商人らの大邸宅が立ち並んだといいます。

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 そして没落へ

しかし、1889年(明治22年)に新宿~八王子間を結ぶ甲武鉄道(現・JR中央線)が開通し、1908年(明治41年)に東神奈川~八王子間を結ぶ横浜鉄道(現・JR横浜線)が開通すると、生糸の運搬は鉄道が担うこととなり、「絹の道」はその役割を終えました。また、製糸工場が各地に林立し、養蚕が機械化されると鑓水商人たちの活躍の場も少なくなり、絹の道とともに没落していきました。商人たちの豪邸も解体されましたが、名主の八木下要右衛門の屋敷にめぐらされていた石垣の一部は絹の道資料館に保存されており、当時の姿をしのぶことができます。

その「絹の道」の一部が残っているのが現在の東京都八王子市の鑓水地区。京王相模原線の南大沢駅からJR橋本駅行きの路線バスに乗って、15分ほど、「絹の道入り口」のバス停で降ります。そこに八木下要右衛門の屋敷跡につくられた「絹の道資料館」がありますが、この資料館には絹の道や製糸・養蚕に関する資料の他、「絹の道」を散策する人のための休憩コーナーもありますので、ここで生糸商たちが残した手紙などの資料を一読してから絹の道の散策をスタートするのもよいでしょう。

 

実際に筆者が鑓水地区の絹の道を歩いてみました。

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まずは絹の道資料館。歴史を感じさせる佇まいです。

 

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これがかつての八木下要右衛門の屋敷跡の石垣の一部でしょうか。

 

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資料館のまわりには都内とは思えないようなのどかな風景が広がっています。すぐ近くまで多摩ニュータウンとしての開発が進められていますが、鑓水地区はほとんど開発がされておらず、昔のままの姿を残しています。

ちなみにこの周辺は大栗川の源流部 にあたり湧水が豊富だったため、住人達は多摩丘陵の斜面に槍のように尖らせた竹筒を打ち込んで飲料水を得ていたそうです。この方法を「ヤリミズ」と言い、地名の由来になったと言われています。

 

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資料館の裏手側には駐車スペースが7台分あるので車での来館も大丈夫ですが、駐車可能時間は17:00までなのでご注意くださいね。

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資料館の中や庭の部分には一服できるエリアがあります。絹の道散策の前にここで準備を整えましょう。なんとも風情のあるつくりになっていますね。

 

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こちらが資料館の中の休憩スペース。独特の味があります。

 

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資料館の奥、様々な展示物が置かれているエリアです。ちなみに資料館の入館料は無料で営業時間は3月から10月が9:00~17:00、11月から2月が9:00~16:30、休館日は毎週月曜日(祝日と重なる場合は翌火曜日)及び年末年始です。

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抑えた照明と心地よい静寂が館内の重厚感を醸し出していました。この中で展示物を眺めていると、まるで明治期にタイムスリップしたような感覚が味わえます。

 

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こちらが生糸。シルクの艶が美しいです。当時高値で取引されたのもわかります。

 

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生糸を取る元になる繭ですね。ちなみに蚕が成虫となった「カイコガ」は羽と口が退化して完全になくなってしまっているので、飛ぶことも餌を食べることもできず、交尾のみを行って1~2日で死んでしまうそうです。

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こちらがカイコガ。カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、完全に家畜化された昆虫で、野生には生息しない生き物であり、人の手で飼育されなければ生きていくことができません。見た目はモフモフしてかわいいですが、成虫になっても飛ぶことも食べることもできず交尾をして死ぬだけ、という運命は少しかわいそうな気もします。

 

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こちらは高機(たかばた)の模型。大規模な製糸工場が建設される以前はこのような機械を使い、手作業で生糸を手織していたのですね。

 

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当時の布の見本帳。今でいうセールスマンが使うカタログのようなものでしょうか。

 

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明治時代の鑓水地区の模型です。当時の地形が再現されています。

 

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これは生糸を馬に積むための専用の鞍でしょうか。人馬で運搬をしていた頃は馬に負担をかけないように様々な工夫がされていたようですね。当時は馬も貴重品。商人達の苦労が偲ばれます。

 

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資料館で生糸商人や鑓水地区について学んだら絹の道散策を開始しましょう。資料館を出たら右手の方へ進みます。

 

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しばらく進むと絹の道へと続く分岐点が現れます。右手へいきましょう。

 

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この分岐点には絹の道の案内板が立てられています。この先が保存されている絹の道となります。

 

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生糸商人になったつもりでスタートしたものの・・・結構な勾配の登り坂です。道を登り切った先にある「大塚山公園」を目指して歩きます。

 

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しばらく進むとアスファルトの道路が消え、このような雑木林にかこまれた道になります。

それにしても勾配がきつい…当時の生糸商人達は重い荷物を背負ってこの道を行き来していたのですね。昔の人たちは凄かった・・・(;´Д`)はあはあ

 

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勾配に負けず進みます。真昼なのに薄暗くなってきました…うーん。夜は歩きたくないなぁ…

 

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道はまだまだ続きます。向こうから大八車を引いた鑓水商人が現れそうな雰囲気ですね。この道は文化庁選定の「歴史の道百選」に選ばれているそうです。

 

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スタート地点から15分程歩くと目の前に石段が現れました。この石段を上った先に大塚山公園があります。階段が苦手な人は脇にあるまき道を登りましょう。

 

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大塚山公園内にはかつてここに建っていたお堂「道了堂」の跡が文化財として残されています。

 

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かつてここには旅人の安全を祈願するために建てられた「道了堂」と呼ばれるお寺の別院のお堂がありました。この道了堂において、1963年に当時、堂守をしていた老尼僧が強盗に殺害され、さらにその10年後には、大学教授が不倫相手の女子大生を殺してその遺体を道了堂付近の山林に遺棄するという事件が起きました。現在、このお堂は取り壊され、石段や石碑、建物の礎石部分を残すのみとなっていますが、事件以来、この史跡を中心にしたエリアで霊の目撃談が相次ぎ、いつしか西東京屈指の心霊スポットとして知られるようになっています。

 

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いまでは道了堂の礎石のみが残されています。

恐々写真撮影しましたが…何も写ってなくてよかったぁε- (´。`;)ホッ

この先に八王子市街を見渡せるスポットがあるのですが、やぶ蚊が尋常じゃない(この時はまだ夏が終わりきってませんでした・・)ので今回はここで引き返したいと思います。

 

いかがでしたでしょうか。

絹の道資料館から大塚山公園までは大人の足なら15~20分ほどで歩くことができます。古きを温ねて新しきを知る、という諺がありますが、気持ちのよい季節にはこの道を歩き、郷土の歴史に触れてみるのも良いかもしれませんね。